書評:おいしいコーヒーのいれ方(1994ー2020)村山由佳

コーヒー
純愛。それはどこかで聞いたことはあるけれど、実際にみたことや経験することは少ない幻のような恋愛の形。誰かのことを大切に思い、大切だと伝え、行動で示し、お互いにわかり合う。そんな誰かと出会えたら、そして分かり合えたら、どんなに素敵なことだろう。揺れ動く心と、気持ちを、とても読みやすい文体で描き切った恋愛小説「おいしいコーヒーのいれかたシリーズ」。若い人は勿論、昔若かった人たちが読んでも、心にみずみずしさを取り戻せる純愛ストーリー。
おいしいコーヒーのいれ方。恋愛小説の方です。

おいしいコーヒーのいれ方シリーズは直木賞作家村山由佳による恋愛小説で、四半世紀を経て2020年6月に完結。僕が初めて読んだのは大学生の時で、キャンパス風景や部活動に興じる主人公の心理描写がとても気に入ってた。当時まだ純粋な青年という感じの僕は、まぁこういう幸せな恋愛っていうのが、一つの理想で。心の距離を言葉で見事に表現するその文体に、感動したり、共感したり、肩の力を抜いて読める小説でした。
当時はSeason Iが完結する前で、嫉妬とか、好きだって伝えることの難しさや、すれ違いや、付き合うまでの、そして付き合いたてのカップルにありがちな、くすぐったい感じの内容で、とても瑞々しい気持ちで読んでた記憶がある。

それから気づけば十数年。気づけば僕も大人になって、懐かしい気持ちで再読。

それから僕も大学を卒業し、就職、海外留学や海外勤務、それなりの恋愛経験を積みながら「いい大人」と言われる年齢に。コロナによる自粛期間中流れていたNHKラジオが「おいしいコーヒーシリーズが完結した」と伝えていて驚いた。まだ完結してなかったのか、勝利とカレン。Season IIがリリースされてたことも知らなかったし、まさか全19巻になっているとは。ふと思いたってSeason II第1巻「明日の約束」をKindleで読み始めて、一気に読まされた。最終巻の「ありふれた祈り」まで。
内容やネタバレについては、僕よりも文才のある人がきっと書いているからそちらに譲って、僕からの紹介はあくまで「純愛小説」だってことぐらい。あとは読者も大人になってるから、ただの恋愛モノじゃなくて人生について考えさせられたり、世の中の理不尽や葛藤にスポットが当たっていたり。大人も面白く読める小説だと思う。僕もこんな恋愛を昔はしていたな、って思い出して少し切なくなったり、くすぐったくなったり。当時はガラケーで、LINEやSNSなんて今ほど流行ってなかったし、不便なようで便利だったような。現代のファストファッション的な恋愛観、身体関係なんかとは違う、純愛が成立する最後の時代だったのかもしれない。不器用さの中に、どこか他人を想うことの本質みたいなものがあったような気がする。僕が歳とって少し擦れただけかな苦笑 著者のインタビュー記事にも。

「毎日会えるかどうか、そばにいるかどうかって実は恋愛そのものの心の近さにはあまり関係ないんですよね。会えるに越したことはないんだけれども、会えたからといってわかり合えているわけじゃないというのは、今の人たちを見ていて思います。常に情報をやりとりできているからといって、別に恋愛が上手になるわけじゃないんです。」

その通りだと思った。身体をいくら重ねても伝わらない相手への思いやり。会えない時に募る寂しさや、ふと気付かされる不誠実さと悲しみ。自己肯定感の欠如と、報われない承認欲求。寂しさを埋めようとして誰かを求めることで更に深みにハマる虚しさの螺旋階段。そこには正解や安らぎはないんだと思う。現代の人間に必要なのは、もしかすると奇跡とも言える純愛なのかもしれない。

人生は恋愛ばかりではないけれど、恋愛で救われることも、人生が変わることもある。

人生には成すべき仕事や、守るべき人たちや、叶えたい夢や、息を絶え絶えこなしてく現実、がある。恋愛ばかりが人生ではないけれど、人生に彩を加えて、喜びと悲しみを与えてくれるのも確かだ。男性であれば、大人になるにつれ主人公のように誠実であることが非常に困難で、実際にはこんな風にはなれないけれど、こんなやり方で幸せっていうのが手に入る世界だったら、それは優しい世界だなって、改めて思った。少しばかり心が世間の垢にまみれて、うす汚れてしまったおじさんには眩しすぎて、直視できない心理描写だったりするんだけどね。村山由佳の凄いところは、他の作品との幅の広さだったりする。まだ読了していないけど、不道徳な恋愛「ダブルファンタジー」を描きながら、こういう純愛も描ける。このおいしいコーヒーシリーズも頭がお花畑のようなただの純愛小説で終わらず、主人公の心の葛藤や挫折や困難を描いて、薄っぺらい終わり方じゃないところに、この作家の深みというか、厚みを感じるんだよな。同時に僕は、このおいしいコーヒーシリーズの10年後から15年後が見てみたいと思った。30から35歳前後で、純愛を貫けているのかどうか。幸せに結婚し、子供がいて、妻を愛し続け、仕事に精進して、なんて上手くいってるんだろうか。もしかしたら婚外恋愛や、心の隙間や闇を抱えて、葛藤しているかもしれない。だって人生ってそういうものでしょ?純情も不道徳もひとりの人間の中に存在する感情であり性質なのだ、と僕は思うんだよね。この作家から、この両極端とも言える作品が生まれるのは、とても共感できるし、おいしいコーヒーシリーズだけでは、腹落ち感はない。両方の作品を生み出せる作家だから、このおいしいコーヒーシリーズにも説得力が出る。そんな背景を理解して読んでみると昔とは違う深い楽しみ方ができると思う。いち読者の勝手な感想だけど。さっきと同じインタビュー記事より。

「確かに、やじろべえの向こう側の重しみたいな感じはありますね。本当に何でもありでモラルなんてくそ食らえみたいな小説を一方で書きながら、でもそちらにだけ邁進していくと、多分自分の中の何かが崩れてしまい、大事なことを見失っちゃうかもしれない。そういう部分を『おいしいコーヒーのいれ方』のような“白”村山的な小説が引き戻してくれる役割はありますね。デビュー作の『天使の卵』は今まで本を読んだことがない人にも小説の世界でしか味わえない喜びとか楽しみがあると知ってもらいたくて、入りやすい扉として書いたものでした。『おいしいコーヒーのいれ方』も同じです。大人の感情を描く文芸作家として評価されるためにその扉を放棄するのは、出発点の自分を裏切ることだからしたくなかった。常にこの世界が書けると自分で確認することで、安心できる部分はあったと思います。」

作家という職業の凄みというか、「天使の卵」も昔読んだけれど、号泣した記憶があるな、そういう心を揺さぶる作品や作家に出会えたことは、僕にとって幸運なことだったと思う。実際、僕の人生も振り返ってみると、白サイドと黒サイドとが混沌としていて、ひとつの文脈で考えると矛盾はないんだけど、ハタから見たら少し不思議かもしれない。そんな意味で勝手に共感して、自分の人生を振り返る作品になった。

あくまでも小説の世界の話。だけどそれを通じて心の距離を言語化して咀嚼すると他人にも優しくなれるような気がする。

恋愛小説なんて、ここ数年は全然読まずにノンフィクションや実学書ばかりだったけれど、たまに読むと心が潤う。心の距離を丁寧に描いて証明してみせる作業、それが恋愛小説のような気がしていて、世間の世知辛さに、やさぐれた心の大人たちは改めて読んでみると少し優しい気持ちになって、他人にも優しくできるようになる気がする。それが人間の幅を広げ、人生を豊かにしてくれるような気もするし。心が揺れ動く、その動揺を通じて、改めて自らを知ることもできる。なんだか、敬遠していたけれど、また少し小説を、恋愛小説を読んでみようかなって思わせてくれた作品でした。なかなか明けない梅雨の時期、コーヒー片手に読んでみるのもおすすめです。

本日の恋愛小説
おいしいコーヒーのいれ方SeasonI https://amzn.to/30mCkv4
おいしいコーヒーのいれ方SeasonII https://amzn.to/3fBm1AR
天使の卵 https://amzn.to/3fFZzXt
ダブルファンタジーhttps://amzn.to/2OBNnLk